スパイスカレーを食べる時、私はご飯とカレーを一体化させるようにして、よく念入りに混ぜながら食べています。
皿の上にいくつかのカレーが乗っている場合は、まず皿の外に全てのカレーを出して、少しずつご飯の上にかけていきます。
ところどころ隣り合わせになったカレーが混ざったりしながら食べ勧めていきます。
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そもそも混ぜ合わせた方が美味しいと思うから混ぜ合わせているのですが、ではなぜ美味しいと思うのか?
結論を先に言うと、「混ぜ合わさる過程を見ているから混ぜ合わさった状態が美味しいと認知する」から、なんだと思います。
まず、事前に混ぜ合わさった状態ものが出てきたら同じように美味しいと感じるのか否かということを考えました。
これの自己回答は、
否、「同じように」美味しいと感じるわけではない。でした。
”そもそも混ぜ合わせた方が美味しい素材同士だから”、という理由付けは十分ではなく、
”混ぜ合わせる前のもが混ぜ合わせる後の者よりも美味しくないから”、というのは少し違うわけです。
AというものとBというものそれぞれ個々の味がある料理があって、それをまず認知し、自分で混ぜてA+Bを作り、それが一つの料理として感じる過程が、よりそれらを美味しく認知させている
と私は考えています。
すなわち自分で混ぜる、もしくは、混ぜ合わさった状態を知覚することが大切な美味しいと感じる過程のひとつになっているのです。
”味覚的な”美味しいと違う経路で、混ぜ合わせることによる”認知的な”美味しいが存在するとして、これら二つが異なる感覚経路を通っているとするならば、人間は複数の美味しいという感覚を活性化させた方がより美味しいと感じるのかもしれません。
仮にそれが正しいとするならば、手食がより美味しく感じると言うのも一つ腑に落ちます。
これはカレー作りにおいても言えることなのかもしれません。
カレー作りも、色んなスパイスを組み合わせて出来上がる過程を見れるから美味しく感じる、ということです。
私がカレー屋さんでカレーを食べる時より、カレーを作って食べた時の方が多幸感に包まれる理由は一つここにある可能性があります。
また、レストランでも時にわざわざテーブルの前に完成手前の料理を持ってきて、客の目の前で調理することがあります。
これは一つパフォーマンスとして考えることも出来ますが、もしかすると、より美味しいと認知するための秘策なのかもしれません。
小さい頃、カレーライスを食べるときはそうでもありませんでした。むしろ逆にご飯とカレーが分離された状態を保ちながら食べることが好きでした。それは純粋に”味覚的な”美味しいという味がそうだったからなのだろうな、と思います。
最近は、色んなカレーや副菜を混ぜ合わせて変わりゆく味が、どう変わっていくか、何故変わっていくか、を常にせわしなく脳みそを動かしながら楽しんでいるわけです。
先日ロケ先でカレーラーメンを久しぶりに食べた時も、卓上に並ぶトッピングをあれこれ変えながら、2口目から色んな味の変化を試してしまっていたことを思い出しました。
カレー以外に何が好きかと質問されるといつも「パフェ。」と答えていましたが、これはパフェはカレーに通ずる点が非常に多いからです。(と言っても滅多に食べませんが)
食べ勧めるにつれて目の前でクリームやアイス、果物などの境界がどんどんまじりあっていく…、
またもう一つ共通点を見つけてしまいました。